“親孝行プレイ”を見て親コーラー(親孝行家)に

“親孝行プレイ”を見て親コーラー(親孝行家)に

「親孝行プレイ」はみうらじゅん著書のマニュアル本、またそれを基に描いた深夜ドラマです。
「最初は偽善でもかまわない。まずは行動。“プレイ”と思えば照れずにできる。心は後からついてくる。」著者が自ら行い確証を得た、親を喜ばせる具体的なワザの数々。親に電話したくなる、温かい気持ちになる本作のドラマが2008年に放送されました。
本ページはそんな「親孝行プレイ」を中心としたファンサイトです。

原作

親孝行プレイ(おやこうこう- )は、みうらじゅん著書のマニュアル本、またそれを基に描いた深夜ドラマである。2007年4月に角川書店より発行された。

自称親コーラー(親孝行家)のみうらじゅんによって「最初は偽善でもいい。心は後からついてくる」という考えと、その実体験に基づいたマニュアルが第9章に渡り書かれている。「親孝行」をどう行動に移すか、どうすれば効果的か、親にどう接し話しかければ喜んで貰えるかをワンポイントアドバイスつきでコミカルに描かれた作品である。

さらに詳しく

あなたの子供で本当によかった。
親の喜ぶ顔が見られる、ほんの少しの心遣い

親孝行したいとか親は大事だとか、“思っている”だけでは気持ちは伝わりません。親孝行は、具体的に行動しないと意味がないのです。
どうせなら徹底的に親を喜ばせてあげたい。そこで忘れてはならないのは、相手が親だからこそ「誰よりも気を遣い、誰よりもサービス精神を持ち、誰よりも接待感覚を忘れてはならない」こと。とにかく行動。始めはぎこちなくてもいいじゃないですか。
著者が実際にやっている親孝行の数々。これ、感動します。

そもそも親孝行とは

親孝行の「孝(こう)」とは、徳目の一つ。親によく服従することを示す。身近なところから段階的に進められる儒教の徳治において、まず家庭で守られるべき徳として「悌」とともに重要視された。「孝悌」と併用され、「孝悌は仁を為すの本」とされる。
古代の中国では、祖先崇拝の観念のもとに、血族が同居連帯し家計をともにする家父長制家族が社会の構成単位をなし、この家族の構成員たちは、親に絶対服従すること、祖先の祭祀に奉仕することを孝として義務づけられた。孔子が、親を敬し、親の心を安んじ、礼に従って奉養祭祀すべきことを説き、社会的犯罪については「父は子の為(ため)に隠し、子は父の為に隠す」と述べた。やがて孝は『孝経』において、道徳の根源、宇宙の原理として形而上化され、絶対服従と父子相隠は法律にも明文化された。また祖先祭祀にとって孝は重要な原理となる。
よく孝を守る振舞い(「親孝行(おやこうこう)」)が高く評価され、これを実践する人を「孝子(こうし)」と呼ばれた。孝子として有名な儒教の聖人は舜であり、孔子の弟子では曾子が孝の実践に優れていたとされる。曾子は『孝経』の作者とされる。
君臣間の徳目である「忠」と時に齟齬を来すことになるが、中国や朝鮮では多くの場合、「忠」よりも「孝」が大切だと考えられた。たとえば、道に外れたことを行う君主を三度諌めても聞き入れられなかったら、君主の下から去るべきであるとされたのに対し、道に外れた親を三度諌めても聞き入れられなければ、号泣して従わなければならないとされた。有能な大臣が、自分の親の喪中に出仕したことを不孝であると咎められて失脚するようなことも起こった。
日本では、朱子学伝来以後、忠を孝より上におくほうが便利であることから、「孝」よりも「忠」が大切だという思想が発達し、江戸幕府体制下では公的な見解として採られる様になっていった。明治以降1945年までは「忠孝一致」のスローガンのもと、孝を忠の付属概念とする思想が国家的に唱えられた。

日本では親孝行が様々な形で称揚されていた。
「親孝行の像(孝子像)」(笹川記念会館)
日本と、中国と、韓国、ベトナムでは、それぞれ「孝」の内容が微妙にずれることがある。
中国では近代に入り、魯迅が孝は「人が人を食う」原理であり、それまで讃えられていた孝子をおぞましいものであると激しく非難するなど、孝に対する批判が噴出する。孝は中華人民共和国成立後には全面否定され、「忠」が文化大革命中にも毛沢東に対する忠誠として肯定的な語とされたことと対照的な扱いとなった。
現代の臨床精神医学では、成人した者が親に絶対的に服従しようとすることは禁忌とされている。

親孝行のことわざ

親が死んでしまってからでは、したくても親孝行はできないというたとえ。
「石」は墓石のことで、墓石に布団を着せて親孝行するわけにはいかない意から。
「類句」孝行のしたい時分に親はなし

孝行のしたい時分に親はなし

親孝行をしたいと思うときには、もう親がこの世にいなくて、
親が存命中に孝行をしておくべきだったと悔やみ嘆くということ。
「英語例」You never miss the water till the well runs dry.
(井戸がかれるまでは、水のありがたさはわからない)

声なきに聴き、形なきに視る

最善の努力をして親に孝行をせよということ。
親孝行をするには、親が声を出して言わなくてもその気持ちを察知し、親の姿が見えなくても
親が何をしようとしているかを察知するぐらいの注意が必要だの意から。

子にすることを親にせよ

我が子に対して深い愛情をもって接するのと同じ心で、親にも尽くせという教え。
「類句」 子ほどに親を思え

子養わんと欲すれども親待たず

子が育ててもらった恩返しに孝行しようと思っても、親はそれを待ってくれず、
先にあの世へ行ってしまうということ。
親孝行したくなる年齢に達するころには、親はもういないことをいう。
「類句」 親孝行したい時分に親はなし  風樹の歎

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